大野智の海。フリスタ感想書きなぐり後編

【前編はこちら→https://poccosu020.hatenablog.com/entry/2020/10/27/003458

【中編はこちら→https://poccosu020.hatenablog.com/entry/2021/01/26/213043

 

 

 

やっとたどり着きました後編、長かった!読んでくださった方ありがとう、後編はちょっと短めです。

後編は、細密画、大野庵とカイト、ダンス、総括と大野さんの愛について。

 

 

 

 

 

・細密画

今回の目玉とも言うべき細密画。細密画は情報量多すぎて読み取るのに時間と体力かかるのなんの、まずとりあえず嵐5人の文字を探しました。笑

 

そんな中見てて色々思ったこと気づいたことはありますが、1番印象に残ったものは左下にある五体の骸骨とさようならの文字です。死の概念(という言い方があっているのかは分かりませんが、)が近い人なんだなぁと驚きました。仮に世の中の人を陰と陽のふたつに分けるとして、陰の人、繊細そうな人、ある程度自分の中の闇を見つめた経験があるんだろうなぁと思う人っているじゃないですか。そんな中で大野さんに関してはあんまりそういう概念で考えたことがなかったんですよね。まぁ仕事という表の場所でわざわざ陰の部分をアピールする人は、ジャニーズの方にしろ一般人にしろ少ないかとは思いますが。そんな中、大野さんは陽の人よりは陰の人だなとは思うけれど、浮世離れしてふわふわした人だなってイメージしかなかったんですよね。(ファン歴が浅いとも言うのかもしれません。)だからこそ、あ、そういう人なんだ、と気づいたというか、初めて知ったという感じでした。演技などでふと感じる乾いた空虚さや底の知れなさが静かにオーバーラップします。

 

そういやこの絵、外側が銀色の縁どりでした。フリスタ見ていくうちに気づいたことですが、さては大野さん縁取るの好きですね?そしてついでに、「これ出来た」ってなった後に足すことも多いですよね?Voyageでこの絵が出来たって言ってたときは銀の縁どり無かったし、ジャニーさんの絵も出来たって言ってた時服あんなに描き込まれてなかった気がします。そして生配信だョ嵐会のカレー作りでも「出来た」の後に色々足してメンバーにつっこまれてたよね。笑

 

 

 

・大野庵とカイト
各種ワイドショーなどでも公開されている通り、カイトがちゃぶ台の向こうに掛け軸のように掛かっているんですけれど、カイトの掛け軸の下のところに、今回のグッズのちっさいガマドン付いてるんですよね。ちょっと笑っちゃいました。シュールで、大野さんぽいなぁと。

今回キャンバスに描かれたものが多かったのですが、ああいう風に展示されてますし、多分カイトは紙に描かれているんじゃないかなぁと思います。ちゃぶ台の向こうだったから少し遠かったことが心残りです。近くで見てみてかった。

 

そういやカイトについての思いも語ってくれてないんですよね〜〜〜語って〜〜〜やっぱ読み取るには限界があるんだ〜〜〜〜智と巡るフリスタで聞けるのが最後の砦かなぁと思っていたのですが喋ってくれてませんでしたよね??

話聞いてみたかったなあ〜

 

 

・ダンス
最後に、真っ暗な部屋に入って見る大野さんのダンス。あれやばくない?…やばいですよね???

大野さんシュールなもの作りたいってインタビューで言っていたじゃないですか。いや、シュールなんだよ、シュールなの、シュールなんだけど、シュールなんだけども!!!!

 

見ながらドデカ感情に包まれていたんですけれど、見終わってまず出たのが、「美しい」でした。本当に綺麗なの。呼吸音と靴の音だけが響く、闇の中で踊る大野さんは美しかった。(そして、おばけ兄弟の兄を見てこれを思い出したのは私だけじゃないはず)

 

さらに、ダンスが終わったあと画面が真っ暗になって、まるで自撮りのカメラを止めるみたいに、正面向きのカメラを覗き込む大野さんがアップで映ったじゃないですか。ねぇいる?好きな人にカメラ覗き込むあれ、されて嫌な人いる?今まで6画面に分割された大野さんを見逃さないようにしようと必死に頑張っていたらもう…そんなんずるいじゃん…!!

真っ白な全身タイツの大野さんはシュールなんだけど、でも美しくてかっこよくて、なお最後に性癖で貫いてくるなんてもうどうしたらいいか分からなくないですか?それにしてもあんな短い2分ある?秒じゃない?目足りなくない??

 

そして、これはほんといつ見聞きしたものか分からなくて、なんなら私の妄想の可能性もあるんだけど、いつかどこかで大野さんに近しい誰かが(←既に曖昧)、「彼は本当に踊るのが心から好きだ(だった)と思う」という旨の発言をしていたような気がしていて。見ている途中ずっとそれを思い出していました。

 

インタビューで、「踊りたくなったら踊る、やめたくなったら辞めるみたいにやろうかなぁ」みたいなこと仰っていましたが、もし、私達が見たのがその通りの“FREESTYLE”

なダンスだったら。

 

踊るのが好きな大野さんの

今発想された動きを

カット無しのパッケージで

体の動きや形を全てさらけ出すような白タイツで、上下左右全部見えるスケルトンの部屋で

見に来る私たちの為に展示してくれた。

…だったら、なんて愛だろうか。

なんて、受け取る情報量が多すぎて追いつけなかったです。あまりに圧倒されて見終わったあと泣きそうでした。

 

 

・出たところ
少し微笑んだ大野さんの写真と、「ありがとう大野智」の文字。ありがとうの文字はピンクのような赤のような色で、金色の絵の具で囲まれていて、私は5×20カラーだなぁなんてぼんやり考えていました。そして大野智の文字は青色だった気がする。

今このブログを書いていて、あの微笑みが少し怖かったけれど見て見ぬふりをしたことを思い出しました。this is 嵐LIVEで美しく清々しい顔のまま消えていった大野さん、あの顔を見た時と同じ感想です。行かないで、そんな綺麗な顔でこちらを見ないで、と。

 

これでFREESTYLE2020はおしまいです。そのあとに貰う智のカレーパン。なんかこんなに大野さんの世界を旅して最後に「どうぞ!」ってお土産まで貰えたようで嬉しかったなぁ。

 

そんなこんなで大野さんという海にただよった備忘録でした。

 

 

 

 

 

 

さて、総括をぽつぽつと。

FS1〜2020まで全部見せてくれたこの展覧会。

ちょんまげの少年と「烏賊」の絵など、その時々のブームの描き方を見れたのがよかったです。今回のジャニーさんの絵と自画像とか、時々でお気に入りの描き方がありますよね。その変遷を感じられてよかった。

そして前編でも書いたけど、大野智とFREESTYLEの始まりを知れた(と勝手に思ってる)のがよかった。

 

また細密画の感想のとこでもちょっと書きましたが、大野さんは縁どったり何かを描いたりなど空間を線で埋めるのが好きですよね。ランタンしかり、ジャニーさんしかり、細密画しかり。抽象画にもそういったタッチのものがありました。一緒に行った友人と現地で気付いてわいわい盛り上がってましたが、多分彼のくせなんだろうなぁと思います。これもああやってまとめてゆっくり見なければ気づけなかったので良かったです。

 

私はこれらの思い出を忘れたくなくて自分の備忘録として書いている側面が強いのですが、思い出すのも書くのもカロリーを消費するのでここいらにしときます。笑

忘れたくないことはもっとあるはずだけれど。

 

 

 

 

最後に、出口にあった手書きの「ありがとう大野智」の文字に寄せて、私とフリスタの旅も終わろうかと思います。

 

個人的に思う事ですが、大野さんの愛し方というのは、溢れて溢れて止まらないというものより、溢れる想いを自身を削って表出させるものであるようなイメージがあります。

 

だってみなさん、思い出してよ山の海キャンプ。あの尽くす姿。全山オタの屍が散らかったであろう山の海キャンプ。クーラーボックスで手をすすぐ翔くんにタオルを渡す大野くん。翔くんに「もてなし力はんぱない」と言われる大野くん。「楽しんでほしいからね」という大野くん。大野くんのもてなしに恐縮する翔くん…そうこれが山……。

翔くんはエネルギーの塊みたいな人だから、溢れる愛を溢れるままで愛するみたいなとこあるような気がするけど、大野さんは違うと思うんですよね。溢れる想いはあるけど、それを表現しようとする時にすごく自身の芯の部分まで使って、削ってまで、表に出そうとしている感覚がするというか。多分言葉という道具を使うのも上手でないから余計なのかなぁと思います。

 

多分そうやって愛してくれたのが大野さんのFREESTYLE2020でした。あの空間に浸ってから、圧倒的に大野さんを愛しく感じます。

 

 

 

 

その愛に感謝を。

こちらこそ、どうもありがとう。


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大野智の海。フリスタ感想書きなぐり中編

 

【前編はこちら→https://poccosu020.hatenablog.com/entry/2020/10/27/003458

 

 

 Voyageおーのずダイアリーが公開されましたね。

…とか書ける時期に公開するはずだったのですが(というか本来前編(10/29更新)のすぐ後に公開したかったのですが)、あれよあれよと年末を超え2021年になってしまいました。

大野さんは元気かなぁ、元気でいるといいなぁ。

 

 

 

 

 

 

さて、まだ書きたいことはありますがすっ飛ばして奥のエリアへ向かいます。

【2月2日更新。本来後編であった分を中編後編のふたつに分けました。1本にするには長すぎた。】

中編はパグの絵とみっちゃん、ランタン、抽象画、ジャニーさんについてです。

 

 

 

 

・パグの絵、みっちゃん

大きさ、ツヤ、絵の具の厚み、重ねて混ぜて産んだ不思議で複雑な色。大野さんの絵ってアクリル絵の具が多いからなのか所々に艶がありますよね、美しい。(でもみっちゃんは確か油彩画、笑)

 

さて、10月24日しやがれでの奈良さんとの対談がありましたよね、見ました?奈良さんと大野さんとの間にある空気感については考えて文章化したいこと山々ですが、始めたら終わらなさそうですので一回置いておきます。そもそもそこまで考察する知識もない。

当日フリスタ見てホテル戻ってTVerでしやがれを見たんですけど、(TVerでの見逃し解禁当時始まったばかりでした。まじ有難かった)大野さん、奈良さんの女の子の絵を見て「たくさんの色重ねて肌色に落としてる」「こうは出来ない」って感じのこと言ってたんですよね。いや大野さんも同じようなことしてるじゃん!!って思いました。

めちゃくちゃの素人目だけど、大野さんも「色をたくさん重ねてその色を出す」っていうことしてますよね?本人が自分で“それを出来てると思ってる”かどうとかは1回置いといて、少なくとも同じように「沢山の色を重ねてこの色にする」という意思はあるように思います。元々大野さんの絵を見ていて「線を引いてその間に色を塗って絵を完成させるというのでなく、沢山の色を少しづつ重ねていくことでひとつの作品を作っていくんだなぁ」とは思っていましたが、しやがれを見てその認識を強くしました。

そして以前Twitterで質問募集?してましたが、それの返答、10月16日のツイートで「色使いは描きながら決めているかな〜」とあります。大野さんは絵を描く上で、色選びに関しては特に理性的なんじゃないかなと思いました。

…とか書いたけど、そもそもバランス感覚強い人だし、本能のままと言うよりはこちらの思ってるよりずっと理性的に絵を描いているかもしれない。(個人的に結構本能のまま筆をすすめるタイプだと思っていたので。)

いやーーーそれにしても、「肌色に落とす」ってワードチョイスが既にかっこよすぎる。

 

 

さて、パグの絵に関しては、私が嵐のファンになったのがここ2年弱の事なので昔のことは知らなくて、そのバックボーンについては何も言えないんですよね。ただ作品集のインタビューで、申し訳ないからって凄く謝っていたことについて、そんなに身を削るように謝らないでほしい、とだけ思いました。

例えば嵐の中でも、大野さんって思っていることを上手く言葉にするのが苦手寄りの人なんじゃないかなぁと個人的に思っています。翔さんとかはその点ほんと器用だから、もし何かこういう事があったとしても言う方と聞く方のバランスをとった、丸い言葉に変えられると思うんですよね。でも言葉という道具を器用に行使しない大野さんのそれはあまりにも真っ直ぐで痛々しい。

当時ファンじゃ無かったわたしはその謝罪を直接は受け取れないけど、それだけ真摯な気持ちはだけはどうか受け止めたいと思いながら絵を眺めていました。

 

とまぁ色々書きましたが初見でパグの絵を見て思った浅い感想を言いますと、パグちゃん顎のところ白かったんですよね。わんちゃんも年取ると白髪になっていくから、大野さんちの子も年取ったのかなぁなんて呑気なこと考えてました。笑

 

そういや作品集の最後の方のページ、思い出のスナップが沢山載っているみたいなとこあるじゃないですか。あそこにあった写真を見て気づいたんですけど、このパグの絵ってカイトと同じような色合いの明るい原色で下書きをしてあるんですよね。

え!!カイトじゃん!!!って思って。

そこからあんなふうに厚く塗っていったんだろうけど、あの下にカイトと同じ色が置いてあるのってなんかエモいなぁって思いました。(言語化を諦めて全てエモいで済ますな)

まぁでも想像膨らみますよね、他のもそうなのか、たまたまなのか、それじゃあカイトは何を思って書いたのか、カイトももしかしたら塗り重ねるつもりだった?なんちゃって。

 

 

 

・ランタン

これはもう単に私の個人的好みの問題ですけど、私このランタンの絵を見た時すごく感動したんです。沢山展示物を見させてもらった中で1番に好きです。他の展示物を見ててもその発想は出てこなかったのですがこれだけあまりに気に入りすぎて、いくら払ったら持って帰れる??って一瞬考えるくらい。

もうなんかそれくらい好きだった。綺麗。この2つだけ行っては戻って3回くらい見ました。いちいち付き合ってくれた友人よありがとう。笑

 

この絵たち、見てまず気付くのが細かく沢山重ねられた絵の具の厚み。鉛筆の下書きなんかもちょっと見えたかな。

そして私最初気づかなかったんですけど、絵の具の上からペン?で線が入ってるんですよね。沢山の絵の具が乗せられて立体感があって、そしてそれが乾いたあと細かく重ねられた色と色の間をわけるみたいに細いペン(多分)で線がいられてます。

入口に近い方のランタンは上の方だけこの線が入れられてて、大野庵の横にあるやつは、ランタン全体に入ってました。これ帰って作品集もう1回穴が空くくらい見たんですけど、紙面では分からないんですよね。「線入ってる」って隣で見てた友人が教えてくれたのですが、それに気づいた時何故か分からないけどなんかほんっとに感動しました。知れてよかった。

 

そういやランタンの絵って展示物の中でも多分ほぼ最後に描かれたんだろうと思うんですけど、それ故に情報がないんですよね。

フリスタの作品集のインタビュー日としやがれソロキャンプ初回放送日を考えると、インタビュー日よりもソロキャンプの方が後なんですよ多分(朧気な記憶)。メインの絵たちはインタビューでその背景を語ってくれていましたが、上記の理由でランタンは言及される場面がなくて。じゃあこれは大野さんのと六本木デートこと、智と巡るフリスタ2020頼みだなぁと思いっていましたが、とうとうここでも語られませんでした。笑

インタビューで小さいキャンパス買ってまだ書くかもって言ってたから多分それかなぁ。そしてVoyageおーのずだいありーで8月に潤くんがアトリエへ遊びに来てた日にはあったので、その間に描かれたのではないかなと踏んでいます。

 

ということでキャンプを初めてやった後に描かれたこのランタンなんですけど。初めてキャンプ知った大野さんって本当に楽しそうで、なんて瞬間に出くわしてしまったんだろうと思ったんですよね。(まぁでもしやがれ見た人みんな思ったよねきっと)あれを見た瞬間の悲喜交々は置いておいて、とりあえずファンのひとりとして大好きな人の人生はまじで幸せであってほしいので、人生を充実させるような新しい趣味と大切な友人が増えてほんとに嬉しいことだなぁと。大野さんの人生になんの関係もないたったいちファンですが、シンプルにそう思います。私たちと嵐という大船のために沢山生きてくれた大野さんが自分のために見つけたキャンプという新しい趣味。

何を思って描いて公開してくれたかなんて知りようもないけれど、ランタンの絵の背景にある事柄の大切さや大きさを思うと、絵にして見せてくれた事が私は勝手に嬉しいです。

 

 

・抽象画

入口から色んなところにぽつぽつと配置されたこの抽象画たち。塗り方の変遷とか見てたら多分色々分かって楽しそうなので、描いた順とか知りたかったなぁ。そして絵の具の性質の問題なんだろうけど、全体的にツヤが強めでした。

ここは乾かない間に筆でばばっって塗ったんだろうなぁとか、これは5色くらい使われてるけど、絵の具の重なりから考えるに一番最初に塗ったのはこのピンク色かなぁとか。重なった絵の具を見て塗った順番を思ったり、乾かぬ間に混ざって流れ落ちていく絵の具を見たり、大野さんと絵の間に流れた時間の経過を感じるのが楽しかったです。

 

そういえばTシャツになってる黄色い絵あるじゃないですか、キャンプでヒロシさん着てるやつ。あの絵ってキャンバス全体としてなんとなく十字っぽくなってますよね、分かります?あれってきっと、キャンバスを張ってある木の枠なんですよね。絵の具を塗ったあと少し乾かしてから布か何かで擦ったことで表面の絵の具が剥がれてああなったのかなぁって感じでした。現地で見て気づいた時嬉しかったです。

 

 

・ジャニーさん

フリスタ開催が決定された時くらいから、ありとあらゆる媒体で目にしまくってきたこのジャニーさんの絵。テレビや雑誌で見た初見の感想は、「ワクワクの自画像にタッチが似てるな」くらいでした。その時はそれ以上特に感想がなかったのですが実際にフリスタの会場でジャニーさんの絵を見た時驚いたんですよね。会場で一つ一つ大野さんの作品を見ていた後にこのジャニーさんの絵を見ると、タッチの違いが圧倒的でした。

大野さん自分でも言ってたけど、本当にポップです。(ポップって言葉で済ましていいのか分からないけど) 新しい描き方だったって言ってたけど本当にその通りでいつもと全く違う手法で描いたんだろうなぁとひしひしと感じました。似てる作品というか、同じジャンルだなぁと思うような作品がない。それこそ出口に飾ってあったワクワクの自画像くらいで。

 

またこれも現地で見て気づいたことなんですけど、大野さん1回塗り潰そうかと思った、悩んだって言ってましたよね。ほんとにそうだったんだなぁって感じました。きっとあの絵顔から描き始めたと思うんですよね、まぁなかなか服から描くことはないと思うし。で、その顔と服を見比べた時にあからさまに服の方がタッチに悩みを感じないんです。なんて言ったらいいんだろうなぁ、まず違うなと感じたのが絵の具の厚み。枠みたいに囲ってその中をたくさんの色で塗ってあるけど、服の部分と比べて顔はあからさまに塗り重ねてるであろう部分があって。悩んで色を置いていったんだろうなぁと感じました。

 

いやなんか今更なんですけど、一般人なら肌色1色2色で塗る部分を沢山線を囲ってわけた上にあの色味じゃないですか。それで特定の人物を表すのって凄すぎませんか?今更大野さんのセンスに驚いたところで遅すぎんかって話なんですけど、なんか冷静になったらまじで凄いと思います。ジャニーさんだから色味はこんなので…とかここはあえて暗い色で…とかなんかきっとそういうの考えたんだろうなぁ。なんか何回か同じようなこと書いてますけど、こういう思考の軌跡みたいなの感じられるのがオタク的に嬉しいし楽しいです。

 

 

 

 

 

 

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読んでくださった方ありがとう。さて中編はここまでです。

後編は細密画〜総括まで!よかったら読んでね!↓

https://poccosu020.hatenablog.com/entry/2021/02/03/000245

 

 

おやすみなさい。私の「嵐」。

 

嵐とはなんだろうかと考えていた。大野智櫻井翔相葉雅紀二宮和也松本潤からなる5人組で、1999年11月3日にデビューした国民的アイドルで、私の推しで、ファンの愛し方が本当に上手いひとたちで、そして「嵐の1番のファンは嵐だから」と公言してしまうくらい、ファンが嵐を愛するよりも、もしかしたら嵐がファンを愛してくれる大きさよりも、ずっと自分たちで嵐を愛している人たち。そして2020年12月31日を以て、自分たちの手で嵐を休止させたひとたち。

 

私は嵐が好きだ。5人とも好きで、いわゆる箱推しだ。

私は嵐が好きでこれからも嵐をずっと推していこうと思っている。だけど、何故か分からないけど、ここ最近ずっと違和感があった、1、2ヶ月前からのことだ。このままでは私は嵐を推せなくなるのではないかと、なんとなく心のどこかでずっとそう考えていた。
確かに、嵐は1度止まって5人は行ってしまう。(実際行ってしまった。)けど音楽は鳴り続けるし、そこに嵐はずっとある。あんなに沢山の、抱えきれないほどの愛と音楽と思い出もくれた。大野くんは表から居なくなってしまうけれど、5人はきっと変わらず会うだろうし、それは私の愛した姿ではないのだろうか?なんで違和感を感じるんだろう?嵐ってなんだろう?私が愛している嵐とはなに?私の推し方とはなんだろうか?


…と、考えていた。

 


そして考えた結果、見つかりそうな答えがある。


まずひとつめ、どうやら私の中で 嵐 という言葉は3つに分類されるということ。
ひとつめは嵐を構成する5人。相葉くん、潤くん、二宮くん、大野くん、翔くん。この5人が集まって名付けられた名が嵐だ。
ふたつめは嵐という概念。翔くんの言う大型クルーザーであり、何万ものファンクラブ会員を持つ大きな大きな国民的アイドルグループ。この 嵐 が5人を押しつぶしそうなこと、きっと沢山あったと思う。
そしてみっつめ、上で書いた嵐という概念とそれを構成する5人を混ぜ合わせた「嵐」。5人と嵐は表裏一体で分けることは出来ない、だってあの5人が嵐で嵐はあの5人だから。それがみっつめの「嵐」。

(以下このブログでは  (嵐の)5人 と 概念としての嵐 と そのふたつの合わさった「嵐」 を分けて考えています。そして、どれとも分けられないもの、分けていなかったものを あらし と表記します。)

 


そして、あらし は私の中と現実にふたつある。
私の中に相葉くん潤くんニノ大野くん翔くんの5人と嵐のイメージが在って、そしてそれを混ぜ合わせた「嵐」がある。現実にも嵐という概念と今生きてる生身の5人、そしてそれを足した「嵐」が存在する。

 

さて、私は今までここを分けて考えようとした事がなかった。ぜんぶ あらし だった。そしてここまで分けて気づいた、私が推すのは「嵐」だ。相葉くん潤くんニノ大野くん翔くん5人が好きで、5人が作る嵐も好きで、そして、5人が愛する嵐と「嵐」が好きだ。その全てを総じて、私は「嵐」が好きで「嵐」を推していた。

あらし を因数分解して、わたしの好きな あらし とはなんだろうと考えて、私の あらし への推し方とはなんだろうかと考えた。このままではわたしは あらし を推せなくなるんじゃないだろうかという漠然とした違和感の原因をずっと考えていた。
そしてここまで分解してさらに気づいたことがある。

 

 

まずひとつ。私の中にある「嵐」と現実にある「嵐」の、このふたつの齟齬を少しづつ無くしていく作業が、私の あらし というアイドルへの推し方だったということ。

 

私の中の「嵐」と現実の「嵐」の違いを埋めるために、私はいつだって今の嵐と5人(=「嵐」)を追いかけた。その時々の「嵐」の向いている方向や五角形の形を知りたかった。

5人のそれぞれの個人仕事や嵐内での言動を眺めては、私の中にある5人を更新していく。そしてそれはつまり私自身の中にある「嵐」や嵐への概念の更新になる。そして更新された目でまた5人や「嵐」を見る。

これらは同じものだから、どちらが先ということでもないし、どちらが始まりということでもない。分けることはできない。「嵐」を見ることは嵐と5人を見ること同義で、5人を見ることで嵐と「嵐」を見つめていた。

私の中の「嵐」を常に更新していたいから今の「嵐」を追いかけ続けた。それが私の「嵐」への推し方だ。

そのために必死で情報には食らいついたし、バラエティだって見た。こう書くとなんだか仕事や作業みたいで辛く見えるけど(実際追いかけるの大変な時もあったし、昔ファンだった時分に推すのやめた理由はこれだった)、でも好きでやってることだし、私はこんな推し方しか知らない。絶対にもうちょっと楽な推し方あるとは思うけど。

 

…まぁ、そんなことは置いといて、ともかく私は「嵐」が好きだから5人のことを知りたかった。何度も書いてるけど、「嵐」を推すことは5人を推すことで、それはつまり5人を推すことで「嵐」を推すことだった。ただ私の中の「嵐」と現実の「嵐」を近づけたい一心だ。

 

 

さてここでもう1度言おう、私が今言っている「嵐」とは、ばかでっかい規模のアイドルグループという概念の嵐と、相葉くん潤くんニノ大野くん翔くんという人間5人を合わせたものである。そしてここまで考えて気づいたことふたつめ。

 

そう、私の推した「嵐」はもうないのだということ。

嵐は好きでいられる。5人も好きだ。過去の「嵐」を見て今を知ることは出来る。でもそれは嵐の更新であって「嵐」の更新ではない。私の推し方の、今の「嵐」を私の中の「嵐」に近づける作業はもう出来ない。だって「嵐」はもう居ないから、嵐を身に纏う5人は今居ないから、更新のしようがないのだ。追いかけられないし無いものは推せない。

 

私の推しは居なくなってしまった。

翔くんは31日、this is 嵐 liveの挨拶で言っていた。「僕たちはきっと来年以降も結構会うと思います。」「でも個人的には、それは嵐に似た何かなんじゃないかと、」

そうだ、それを私も考えていた。「嵐」はもう居ない。嵐はあったし今もあるし、5人は生きてるし、翔くんの言う通りしばしば会うんだろう。それは単純に「嵐」のファンとして幸せなことだ。超嬉しい。シンプルに嬉しい。別にこちらにお知らせしてくれなくても、5人で会うんだろうなって思えるだけで嬉しい。

けど、でも、そこに5人は集まるけど、それは私の愛していた「嵐」じゃないのだ。嵐の5人だけどそれは「嵐」ではない。そうだね、私もそう思っていたの翔くん。

 

だから1度、私の好きな「嵐」にはお別れしなきゃいけない。5人は居るけど、嵐はあるけど、「嵐」は居ないから。


ただ救いなのはこれが解散じゃなくて休止であること。いつか「嵐」の続きが始まるかもしれない、始まらないかもしれないけど、けどよすがみたいな細い糸を残しておいてくれた。

待ってる、なんて恐れ多くて伝えられないけど、一方的に待ってることは出来る。「嵐」さん達は優しかったから、それが枷になると知っていて、嵐を過去にしないで行ってくれた。(きっとそれが自分たちの救いでもあるんだろうけれど。)これが解散なら嵐は在った、になるけれど、休止だから嵐は今も存在するのだ。「嵐」は居ないけど嵐は在る。国民的アイドルグループ嵐は、この日本にまだ存在する、過去じゃない。「嵐」を愛していたものとして今それだけでいくら救いになるか。

 

さて。

じゃあ次だ、「嵐」は居ない、推しが消えてしまったがそれは仕方がない。素直にうんとは言えないけれど、5人の選んだ道だしどうにか受け止めよう。そして次はどうしようか、私は推しを失ってしまった。じゃあ私は何を推すのか。それは31日まで「嵐」で今後もずっと嵐であるあの5人だ。ちなみに嵐は過去のものだから、好きではあるけど「推す」にはならない。現在進行形で推せるのはあの5人だ。

 

 

と、ここまで考えて気づいたことみっつめ。ほんとうに恐ろしくて認めたくないけど、ここで言ってしまおうと思う。ここまで読んでくださった方がいたら気づいてるかもしれないけれど。

まず、私の推しは「嵐」だ。嵐も5人も好きだけど、推していたのも推してきたのも「嵐」だった。そして私の推し方は、私の中の「嵐」と現実「嵐」の齟齬を無くすことだった。そのために「嵐」も5人もたくさん追いかけてきた。そこで気づく。私が愛していたのは「嵐」だけなんじゃないか?…ということに。

 

「嵐」=嵐+5人だけど、「嵐」だけを愛していることと、嵐と5人を愛していることの間には大きな溝がある。嵐と5人を愛していると思っていた、こんなに優しい5人は居なくて、相葉くん潤くんニノ大野くん翔くん、5人とも好きで、愛せていると思っていた。推していると思っていた。けど私は、「嵐」だから5人を愛していたのだ。5人と嵐を愛していなかった とは言わないけれど、多分「嵐」ばかりを推しすぎた。

 

私はよく、「嵐をしている嵐が好きだ」と自称してきた。美しい言い回しだし、きっと嵐の5人も嵐をしている「嵐」が好きだっただろう。けれどそれは表裏一体で。「嵐」が嵐をしている間はいいけれど、裏を返すと、嵐をしていない「嵐」は好きじゃない、ということになる。極端な言い方だとは思うけど。

(そしてこれは嵐ファンの間ではよく聞く言い回しですが、他の方の気持ちを貶す意図は全くありません。私の心の中の問題です。)

 

きっと、メンバー5人が嵐というグループじゃなかったら、それはつまり、例えば1人づつ活躍していたり別のグループにいたり、そうだったらきっとそれぞれのファンじゃなかった。だって「嵐」のファンだったから。(まぁでも一方でこれも仕方ないのかもしれない、だって嵐じゃない5人なんて見たことなかったし。)

…そして気づきたくなかったことがもうひとつ。「嵐」が居ない今、私が「嵐」じゃない5人を追いかける熱量はもしかしたら無いんじゃないか?「嵐」ばかりを好きだった私は、嵐じゃない5人をこれからも好きでいられるのか?ということだ。

さて、思いもよらない強火箱推しのデメリット。おかしい、今もこんなに あらし が好きなのに!

書いてて今自分で超恐ろしい。そりゃなんか漠然と今後も不安になるわ、今もこれからも好きな自信はあるのに、なんか違和感…ってなるわ。だって愛する5人を自分で思っていたより全然好きでいられてなかったから。

 

 

私はまだお茶の間ファンに戻りたくない。変わらない強さで今まで通り あらし を好きでいたい。2020年の亡霊になって、ここで あらし を失うのは真っ平だ。だって あらし が大好きだから。

そのために、きちんと「嵐」とお別れをしよう。不器用な女で推し方は変えられないから。その代わりに「嵐」じゃない5人をきちんと愛そう。これは私の中での決意表明だ。

 

 

沢山残してくれた音楽や、愛や、思い出の中に、今も存在する私たちの嵐のために。こないかもしれないけどやってくるかもしれない、いつかの「嵐」をきちんと迎え入れられるために。そして、31日まで全力で「嵐」を全うした「嵐」と、嵐と、その5人を愛したはずの私のために。

 

 

 

 

 

こちらこそ本当にありがとう、信じられないくらい幸せで楽しかった。愛してくれてありがとう。愛してる。これからはきちんと「嵐」でない5人を愛するから。 

 

おやすみなさい、私の「嵐」。

 

 

 

 

 

 

またね。

 

 

大野智の海。フリスタ感想書きなぐり前編

 

 

行ってきましたFREESTYLE2020。


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まずシンプルに言おう

行けてよかった!!!!!

圧倒的に

 

わたしは嵐さんここ1、2年の新規なんですね、そのため各フリスタは未履修。嵐さんは箱推しなのですが1番には翔くん担をしていますので、大野さんに関してはあまり解像度が高くない自覚があります。

それでも、本当に行ってよかった。行こうと言ってくれた友達には感謝します、多分1人だったら行ってなかったからね。

 

 

そして、このブログは備忘録的に好き勝手書いております、メモもとってないので間違ってることあるかも。

作品集のことも含めながらガシガシ書いているので、ネタバレにはご注意ください。

そして、勝手に色々読み取って泣いたり笑ったり「大野さんってこう思ってたんだろな〜」とか言ってますけど、1個人の妄想です!そうですもはや妄想です!!!ので、ふわーーーーっと、「あーそんなふうに思った人も居るのね〜」的なテンションで読んでくださるととても有難いです。

 

 

ちなみに最終的にこの感想ブログくそ長くなったので、まさかの前編中編後編三本立てです。わお豪華!!!

前編については、入り口、グリーンヘッドさんとカイト、立体作品エリア、小さい頃の大野さんの思い出たち、についてです。

ではどうぞ!!!!!

 

 

 

 

 

  • 入口

入口に入ってまず書いてあった「ごらんあれ」の文字、左にヘッドさんたちの写真、右にでっかいFREESTYLEのスプレーイラスト、その奥に檻?みたいなのに入った立体作品と作品を運んだ木のコンテナ、ぱらぱらした小さな作品たち。

 

私、なんかこの立体作品好きです。どういうものなのかとか、全然理解は及ばないんですけどね。

布が重ねてあるような作品が置いてありました、作品集にも載ってたんじゃないかなぁ確か。何を思って作るのだろうか。

立体物って絵画よりどういう意図のものなのかってことが分からなくないですか?私だけ?

 

 

  • グリーンヘッドさんとカイト

ここに大野さんが立っていたんだなぁと思いながら写真を撮ります。グリーンヘッドさんの後ろには新作の抽象画3、4枚とグッズのお猪口になっている横長の絵がありました。

入場がもう夜だったので月と夜景が美しかった。

 

そして実は私の行ったこの日、アラフェスの収録日だったんですね。私が六本木で大野さんの作品に触れている間、同じ東京の街で嵐さんはアラフェスをしていて。

私は地方勢で、今回のフリスタは追加の先着でゲットしたチケットだったんだけど、コロナの影響で悩みながらもたまたま取れた日で遥か東京まで来ていて、ちょうどその日同じ町で嵐さんは今アラフェスをして、

そのことがなんだか不思議で仕方がなかったです。

 

 

さて、グリーンヘッドさんとカイトを超えたら、FS1の茶色ヘッドさん達(大宮SKも!)と、あのジャンプしている大野さんの写真がありました。

いやぁ、若〜〜〜!FS1の大野さん若〜〜〜!まだちょっとつんつんした若智くん〜〜〜。そして、いつの大野さんも素敵だけど、やっぱり今の大野さんが1番好きですね。スーツがちゃんと年々似合う。

 

 

 

  • 立体作品エリア

大野さんの写真を超えたら立体物が置いてある細い通路を抜けます。

ここには何点か立体作品があるのですが、個人的に気に入っているのはピンク色の頭のやつとヴェールのやつです。え?この書き方で伝わる?


見ながらまず個人的に驚いたことがあって、ここら辺の作品がどれもFS2の作品だったことです。(確か)

大野さんの作品ってほんとーーーーに正直言って、私の趣味でないし結構よくわかんないなってずっと思っていて(まじで失礼)、そのなかでも初期作品の方がよりわからなかったんですね(ほんとに失礼)。一応それもこの後見る展示物で少しだけ色々理解ができるようになるんですけど。

そんな中、立体物シリーズは理解が及ばなすぎて勝手に初期作品だと思っていました笑。

 

 

さて感想ですが、まずピンク頭のやつ。白い壺の上にピンク色に塗られた頭(首)と、その横にひしゃく。頭から出ていくような、収まるようなふうに配置された小さなオブジェ?たち。

これって、頭が壺の上に乗っててひしゃくが置いてあるからより不思議に感じるんですよね。ただ、頭と小さなオブジェだけならここまでの違和感は感じないんだろうなぁと今書いてて思います。なんだろう、日本的というかなんというか、そんな感じがしました。多分、完全に壺とひしゃくのせいでしょうけどね。

大野さんがどういう思いでこれらを配置することにしたのかは分からないけれど、少なくとも同じ日本で日本人として生きていて、この壺とひしゃく配置することで生じる、意図や意思みたいな“文化的なバックボーン”みたいなものを共有できるのは幸せなことなのだなぁと思います。

同じ日本人でよかった!!!!!

 

そしてもう一個私のお気に入り、ヴェールのやつです。さっきのもですが、こちらも作品集見た時から気になってた作品だったんですよね。

でもヴェールの中に顔があるのは本物を見て初めて気づきました。あの足と手は大野さんの手と足の型どりなのかなぁ?そういうところに気づけるのが本物を見る醍醐味だなぁ。ヴェールを持つ足の指と手、隠された黒い顔。

 

さて、さっき上でもちらっと言ったのですが私ここらへんの立体作品結構好きで。

割と、「静」を感じるんですよね。

「静」ってなんやねんっていうと、まじ個人的でしかないイメージですが、「動」の反対、赤が「動」なら「静」は青、寂、絶対、時の狭間、一瞬、他者を寄せつけない、完結、停止、などの感覚です。

 

釣られているやつ(立体作品のいっこめのやつ)も好きなんですけど、これら布を使ったシリーズなんて、あんなに沢山の色と質感の布を配置してあるのに、それでもやっぱり感じるものは「静」でした。

時が止まっているような、そこだけで完結するような、そんな静寂があるような気がします。

 

まぁ色々言ってますけど、大野さんが何を思ってたかなんて知る由もない、ただの一般人の感想です。

 

 

 

 

  • 昔の大野さんの思い出たち

ガマドンも眺めつつ立体物エリアを超えると、作業場スペース、数点の絵、額に入ったテスト、小さい頃の大野さんの作品たちがあるエリアに着きます。

(ガマドンは後ろにも回り込んで見れたので、まじまじと見てきました、ガマドンあの子木製だった!笑)

 

ここらへんも気になったものはたくさんあったのですが特に印象に残ったものは、大野さんが学校の授業で作ったような作品、プリントの落書き、作文などなどが展示されたあの四角い所でした。

ていうかあまりの物持ちの良さに感動する…

 

さて上でも書いた通り、私大野さんの作品ってずっと理解が出来なかったんですね。もうこれはほんっと完全に個人的な感想で、何かや誰かを貶めたりするような意図は全くないんですけど、なんせそれらは私の趣味でなかった。どういう意図で作ったものだったのか、なんでこの題材にしているのか、どうしてこういうタッチになるのかってのが感覚として全く掴めなかったんですね。それ故にFSとFS2とFS2020の作品の違いもよく分からなかったんですよ。

 

そんな中、見ていてふと視界が開けたのが、ここ、小さい頃の落書きや賞状たちの展示を見てからでした。

 

さて突然私の昔話を始めますが、ここまで読み進めてくださった稀有な方大丈夫?突然自分語り始めるけど大丈夫?

私の小学生時代、同級生にOくんという絵を描くのが大好きな男子がいたんですね(奇しくも、彼のイニシャルもO)。大野さんの小さい頃の落書きたちを見て、私は彼を思い出したんですよ。確かOくんも少し不思議なタッチのああいう絵を描く人だったんですけど、なんか気持ち悪いな、なんでそれが描きたいのかよくわかんないなって子供ながらに思っていたんです。ちなみに私は割とディズニープリンセスと少女漫画のキラキラに囲まれて育った少女だったので、なお理解が出来なかったんですね。

それからO君とは中学校まで一緒だったんですけど、O君は成長してもやっぱり絵が好きで、美術の授業も上手くて、イラストレーターを目指して専門学校に行ったと友人から聞きました。それから以降のことはよく知らないけど。

 

大野さんの落書きや授業で作ったような作品達を見た時、彼と同じだって思ったんです。プリントの裏に、ばかでっかい迷路や不思議な絵を書いていたクラスメイトの男子と根っこは同じなこのかもしれないと思いたった瞬間、すごく目の前が開けたんですね。

 

授業中に落書きしていたような、人より絵を描くことが好きな、私たちのクラスに1人はいたかもしれないある男の子がいて。その子が情熱を持ったまま大きくなって、技術も身につけて、それでもプリントの裏に絵を描いていたあの頃、みたいな感覚でアウトプットされた世界がFREESTYLEのスタートだったのではないかと、そう思いました。

 

そしてそこを理解したことに伴って、FSとFS2、そして今回FS2020の世界観の違いがすっと理解できたんですね。自由に意思の赴くまま作った作品たちを公開したFREESTYLEと、良くも悪くもみんなが喜ぶものをと考えて作品を作っていた、それがある意味枷であったと語るFREESTYLE2。そこから作品を作らない期間を経て今FREESTYLE2020。

 

大野さんのことや作品について詳しくない私は、個人的にここが知れた(と思ってる)ことがとても大きかったです。

 

私の妄想ですが、少なくとも昔の大野さんは作品を作りたくて作りたくて仕方がない人だったんじゃないかなぁと思います。生きることの一部が作ること、みたいな。

描きたくならなかったと言う時期を超えて、インタビューで「細密画は昔みたいに熱中して書けた」みたいなことを言っていたけど、今私はそれがとても嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

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さて、長くなってきたのでここで一区切りしようと思います。続きはまた書く…よ…多分……。大野さんの誕生日までには頑張りたい。(途中でめんどくさくなってしまって更新しないのがいちばんの恐怖です。)

 

読んでくれた方ありがとう〜では!

 

 

 

 

 

 

【追記】2月2日

後編も書いたのですが長すぎて最終的に三本立てにしました。

中編こちら↓

https://poccosu020.hatenablog.com/entry/2021/01/26/213043

後編こちら↓

 

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